名称 | さの会計 正式名称:佐野敦士税理士事務所 |
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設立 | 2013年4月1日 |
代表者 | 佐野敦士 |
所在地 | 〒491-0921 愛知県一宮市妙興寺2-1-15 サンコービル3階 |
電話番号 | 0586-85-7565 |
FAX番号 | 050-3730-5611 |
事業内容 |
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保有資格 | 税理士・中小企業診断士 |
所属 | 東海税理士会一宮支部 |
事務所概要
アクセス
車でお越しの方
カーナビに当所の住所(愛知県一宮市妙興寺2-1-15)を入力してお越しください。
駐車場は建物のすぐ南側にご用意しています。駐車場に看板を設置しておりますので、その前に駐車をお願いいたします。台数に限りがございますので、事前にご連絡をいただけると幸いです。
電車でお越しの方
名鉄名古屋本線の「妙興寺駅」南出口より徒歩4分です。
名古屋方面からお越しになる場合は、国府宮駅にて各駅停車に乗り換えてください。
さの会計の
設立ストーリー
さの会計の代表の佐野敦士と申します。
弊社の会社設立のサイトをご覧になってくださり誠にありがとうございます。
このサイトをご覧になっている方は、
個人事業で起業して法人成りを検討している人やこれから起業したい人だと思います。
自己紹介をかねて私の起業の話をします。みなさんのご参考になれば幸いです。
【開業前】
銀行員から税理士へ
自分で事業をしたいと思ったのは、大学生の頃でした。それまでは、起業したいとか事業で成功するとかそんなことは一度も考えたことがありませんでした。
「自営業の親は自営業」とよく言われますが、私もそうでした。ですから、自分で事業をすることに抵抗感はなかったんでしょうね。憧れもなかったですが。ちなみに祖父・祖母と同居の大家族でした。祖父・祖母はナス農家だったので、小さい頃は手伝ったり、ビニールハウスの中で遊んだりしました。父は大工ですが、子どものころはほとんど話したことがありません。父と話すようになったのは、大学を出て社会人になって地元に戻ってきてからのように思います。
事業をやりたいと思うきっかけは、大学生の時に参加したインターンです。私は監査法人に行くことになり……。監査法人なので公認会計士の人の指導を受けたのですが、会計や監査の話は一切なくて。「経営者」特に「創業者」の話が中心だったように記憶しています。若くて世間のことを何にも知らない状態ですから、強く影響を受けました。経営者や創業者の話を多く見聞きすると自分もそういうのになりたくなってくるんですよね(笑)。それがきっかけです。今思うと、若者らしいですね。
当時は、まさにITベンチャーブームでした。早速、アルバイト感覚でITベンチャーの新規事業立ち上げスタッフとして働いてみることに。ITベンチャーの多角化戦略で、ローカルなビジネスを始めようとしていたところだったんですね。私は営業として関わりましたが、IT自体に関わらなかったので、あまり夢中になれませんでした。でも周りにはすごい熱量でベンチャー立ち上げに参加している人がいて、「自分はこの人たちには叶わない」と圧倒され、起業することに怖気づいてしまいました。
それでいて就職活動するかといっても、やっぱりどこか自分で事業をやりたい気持ちもあったりするので、就職活動も中途半端でした。時期的には就職氷河期真っ只中。毎年新卒採用しているような大企業が新卒採用をやめたりしているような頃でもありました。東京での就職が難しかったので、地元愛知での就職活動も同時にやってみることにしたんです。「今新卒で入っておかないと、後で就職に困ってしまうといけないから」と考えて。就職活動では、誰しもが聞かれたくない質問があるかと思います。私は「将来の夢は何ですか」という質問をされるのが嫌でした。それは「自分で事業をやってみたい」ということは、就活の面接官に言えないことですから。そんな気持ちをごまかして面接を受けていました。悶々としている中、地元愛知県の銀行から内定をもらい、銀行員として社会人をスタートとさせることになりました。
そんな経緯があったにも関わらず、銀行での仕事はやりがいもあって面白かったです。上司にも恵まれて、仕事のイロハをたくさん教えてもらい、同期とも楽しく過ごせました。中小企業の法人融資の営業をやっていたこともあり、お客様はみんな事業をやっている人だから、無意識に「自分でもやれる仕事はないかな」と思って過ごしていたところもありました。銀行では融資の新規開拓に力を入れていましたが、そこで必要となる新規の決算書を借りることがかなり大変でした。行動する過程で「税理士」という仕事を知りました。 大学のインターンで「公認会計士」の仕事を知っていましたが、「税理士」を知ったのはこのタイミングだったように思います。中小企業相手の仕事をしている中で、例えば会計事務所に銀行員として決算書を取りに行った経験や、お客様の「税理士に聞いてから答えますね」という回答を通じて「税理士」という仕事が世の中にあり、「自分は決算書を見る側というか、利用する仕事をしているけど、それを作る仕事があるんだなぁ」と。会計や経営については、大学の授業で学んでいましたし、銀行で働いている中でも触れていたこともあり、これなら自分でもできるんじゃないかと思いました。
税理士を目指す日々。
思いがけない、
中小企業診断士の合格
そんな経験が積み重なって税理士を目指すことになり、税理士業界に転職して働きながら資格を取りました。資格取得までの勉強はそれなりに大変でしたが、友人もできて、それなりに楽しいこともありました。中小企業診断士の資格も持っていますが、それは銀行に入行することが決まった後、仕事の役に立てばいいなという程度で勉強したら、勢いがついて受かりました。というのも、実は資格を取るための学校に入学しまして。経験者も初心者も 1クラスに集められて、いきなり経営戦略の筆記試験を受けました。少し遅れて受講をスタートした割には偶然か奇跡か、1番の成績でした。「あれおかしいな」「なんでこれから勉強するのに1番になるんだろう」って思ってたところで、「もしかしたら、自分に向いてるんじゃないかな」と思い込んで。そんなこんなで勉強を進めるほどに自信もつきました。ただの勘違いですが、それでも勢いに乗って中小企業診断士も受験し、一回で合格しました。それに対して税理士試験は一科目ずつ受かったり受からなかったり、着実に受かっていて取れた試験です。
税理士業界に転職して、税理士の仕事の内容がだんだんと分かるようになりました。1か所で長く勤めて、のれん分けしてもらうよりも、2か所・3か所と事務所を経験して、その経験をベースに独立するというやり方がいいなと思っていました。一つ目の事務所は税理士の基本的な業務を担当しました。例えば領収書とか通帳を見て、それを会計ソフトに入力して帳簿にする。それを元に試算表や決算書を作り、税金の申告書を作る仕事です。年末調整や個人の確定申告、そういう税理士の基本となる仕事を学びました。基本的な業務を中心に、仕事を学ばせてもらった所長には本当に感謝しています。二つ目の事務所では、基本的な業務をこなしつつ、M&Aや合併、分割のような専門的な業務に強い税理士法人に転職しました。チームに少し関わらせてもらってから、独立しました。
開業してもうすぐ10年になりますが、その中で組織再編合併や分割をご依頼いただいたのは1度だけです。M&Aは2件ありますが、そのうち1件はデューデリジェンスの段階で終了になり、結局M&A自体が中止になりました。
もう1件についてはM&Aの話があった時から相談を受けていました。簡易的なデューデリジェンスというか財務診断的なところからM&A契約であるとかM&Aの事業運営の相談など全体的な相談にご相談いただき、実際にM&Aまで対応しました。中小企業というか小規模(売上が1億円ない会社同士のM&A)の経験もしていますが、実際のところ割合としてはかなり少ないです。顧問先の方から相談いただいた場合は、充分対応できますのでご安心ください。
【開業後】
運とご縁に恵まれた
開業直後。
独立資金の融資で役に
立った、銀行員の経験。
ほぼ0の状態で独立することになりました。 ほぼ0というか、知人から「無料で相談できる税理士さんいないかなという社長がいるんだけど、話聞いてくれる?」って言われたんですね。すごくお世話になっていた知人だったので、少しでも役に立てたらと思って「喜んで話を聞きに行きますよ」と快諾しました。知人に紹介されたお客様の相談に何度か乗っているうちに、「私が第1号のお客さんになるから、独立しませんか?」って言ってくれて……。それがきっかけとなり、独立しました。そのお客様は今でもお付き合いがあります。独立した後から、ずっと取引をしていただき、どんな案件でも会社の総務経理財務という面について、ありとあらゆる相談をしてくださっています。私もできるだけ役に立てるようにこれからも頑張ろうと思ってます。
独立した話に戻ると、独立後は人の縁を頼りに、自分でも色んな所に出掛けました。本当にちょっとした縁から、お客様が少しずつ増えていって、というところもあります。まだ独立したての時は、自宅の1室で、小学校の入学プレゼントで買ってもらった机で仕事していました。お金もないので、中古車屋で働いている友人に「動けばなんでもいいから白い軽自動車の営業車。1番安いやつを売って欲しい」と頼んで、車を買いました。その車で営業しているときに、高速道路でエンジントラブルを起こしてそのまま止まることも。その時ちょうど、知人に紹介してもらった新規のお客さんに向かっている途中だったんです。レッカーの人に故障した車を運んでもらって、高速道路を下りたところで私は降ろしてもらいました。タクシーで新規のお客さんの所まで行くためです。お客さんに電話で事情を説明すると、「遅れても大丈夫です」と待っていてくれました。「お客さんに絶対会いたい」と強く願い、タクシー乗って会いに行くと、取引することになって。その時の体験も忘れられない思い出です。
その会社では最初、社長さんから「1年分の入力はもう全部終わっているから、あとは決算書と申告書を作る所から初めてください」って言われたんです。けれど実際やってみたら、入力が終わっているのは一年前のものでした。つまり一年間、何も入力してない状態だったのです。出会ったときにはすでに決算日を過ぎていました。しかし申告は決算日から2ヶ月以内にする必要のあるものです。「じゃあ、どうする?」っていう話になり。分量もそこそこありましたが「根性で間に合わせます」と答えました。その時、社長さんにはすごくほめてもらったことが記憶に残っています。「まあそうだよな、最後は根性なんだよなー。佐野さんよくわかってるよ、あんた」みたいなことになって。「根性でやれば期日に間に合うんだから根性でやろうよ」というそのシンプルさが良かったのかもしれません。まあ若いからできたのもありますが。品質を多少犠牲にしないともう間に合わない。まとめて入力するとかそういう横着はしないけど、自分が入力したものを細かく見直したりする余裕はないかもしれない。「一回打ったら打ちっぱなしであとは残高が合っていれば申告させてもらいます」ということで、連日深夜まで入力しまくりました。その年度について、数年後に税務調査を受けました。調査でたまたま調査官が問題に取り上げた取引について「領収書がない」。そもそも領収書がなかったので「架空に経費にあげたんじゃないのか」と否認されてしまいました。それは私が気合で打ちまくってる仕訳の1つでした。だけど領収書のないものを勝手に私が打ちこむことも考えにくく…。どこかに紛れ込たのか、ひたすら打ちまくったせいでどっか飛んでっちゃったのか……。もう分かりませんが、一年分を連日深夜まで数日間、打ち込んでもとにかく記述に間違いはないという約束でやってる話ですから、そこの社長も「仕方ないね」と。創業時の忘れられない思い出の一つです。
創業時には今より難しい仕事もありました。組織再編などが依頼されると、東京まで研修を受けに行ったり、講師に質問したりして、絶対間違いがないように取り組んでいました。独立したての頃は仕事の数はそれほどでしたが、お客さんを探す営業活動も進めていたこともあり、仕事に困らなかったです。
その前に独立資金の話をしようと思います。
独立する時には日本政策金融公庫から創業融資で、300万円ほど借りました。税理士っていうと、紙と鉛筆だけあればできる仕事のイメージがあるかもしれませんが、会計や税務関係のソフトとかそういうシステム面だけで結構お金がかかるんですね。現在の状況でも、さの会計としてソフト代として払う費用は年間100万円以上かかります。独立した時でもそれくらいお金がかかっていたでしょうし、パソコンやプリンター、事務用品にも結構費用がかかりました。お客さんが少し増えた時点で、仕事量も増えて、自宅の1室ではちょっと難しいなあ、誰かに助けてもらいたいなということでスタッフを雇おうと思ったタイミングで、事務所を借りました。多分開業して1~2年ぐらいだったと思います。
自分とスタッフ1人の事務所としてはかなり広い場所でした。今となってみればその事務所も手狭になってきていますし、こちらに引っ越してよかったなと思います。引っ越した時に「もう小学校に入学した時に買ってもらった机を使っているのではダメだ」と感じ、机や椅子、応接セット、書類をしまう書庫など必要なものを全部買い揃えました。電気機器もいちから揃えなきゃいけない。そこでまた500万円ぐらい日本政策金融公庫から借りました。創業融資の申し込みに行ったときには、日本政策金融公庫の方も「佐野さんは税理士だし、銀行に勤めてたから詳しい説明はいいですよね」ってあっさりした対応でした。私ももちろん「それで結構です」っていう感じで、書類を作成し、融資がおりました。その時に痛感したのは「こういう書類は処理できても、借りる人の気持ちは今までわかっていなかった」ということです。銀行員として、契約書にハンコをもらうことをただ事務的にやってきたのだと知りました。それが借りる側、自分が仕事を始める立場になって、これからやってみてうまくいくかどうかわからない状況でお金を借りる、そういう時の複雑な気持ち。どうしたって不安ですし、「これからうまくいくように頑張ろう」という前向きな気持ちもあったり、「貸してもらえてよかった」っていう安堵の気持ちもある……。そんな複雑な感情は、相手の立場になってやっとわかることなんだと知りました。さの会計のお客様にも会社設立とあわせて、創業の融資を受けたいという方もいると思います。そんな方に寄り添い、気軽に相談してもらいたいと思います。
創業融資のサポートは将来的に具体的な商品・サービスとして展開する予定です。会社を設立し、税理士の顧問を依頼される方には、以前からご相談をお受けしてきました。私の感想は、独立するときに意外とみなさんはお金を借りないということ。たまたまそういう話がなかっただけかもしれませんが、自分が貯めたお金だけで独立されるなど、できるだけお金がかからないような形で独立されている傾向がうかがえます。ただ、飲食店や美容室の開業は一般的に多額の費用がかかるとされていますが、それほどお金がかからないような独立の方法があるようです。
話は変わりますが、独身の方が事業を始めると大変な面があります。自分と同じようなことがあったなという経験もこの機会に伝えておきます。独立した時に彼女がいたんですけど、ふられちゃいました。 その後、婚活をしまして。自営だからモテないとか、そういう訳ではなく私がただ個人的にモテないだけかもしれないんですけど。将来的には結婚してお子さんが欲しいなあと思っている若い人が独立・開業すると、いわゆる「二兎追うものは一兎も得ず」状態になってしまう大変さがあると感じます。私の場合、仕事はうまくいきました。ただ結婚相手が見つかるまでが大変でした。
これから若い人が独立するとき、そんなことも共感できる部分があるかもしれません。
みんないくら起業するっていっても、人生仕事ばかりではありません。家庭や仕事以外についてもざっくばらんに相談してもらえたらなと思います。別に何かできるわけじゃないんですけども。
スタッフも1人から2人になったところで、ようやく妻と巡りあって結婚しました。その妻の話の前に、独立した当時のお客様が増えた理由について話そうと思います。独立とか自分で事業をやるこは、自分の実力じゃないところも結構、あるのです。私の場合はよく言う「運がいい」とか「ついてる」ってやつですね。 私が独立した時は運がよくて、ちょう補助金の制度が始まったタイミングでした。今で言う「ものづくり補助金」が始まった時だったのかな。現在は補助金のコンサル業者はたくさん増えて、競争が激しくなりましたが、当時は補助金の申請書を書ける人、書き方のサポートしてくれる人が全然見つからないという世の中でした。私が中小企業診断士を持っている上、独立していたので、人づてに「補助金の話をできるらしいですね」という流れで、お客様と接点が生まれました。補助金の話が終わったら、また電話がかかってきて「会計とか税務の話もお願いしたい」と。自然にお客さんが増えました。
独立してからの
順調な滑り出し、
仕事に捧げる日々
自分の独立した時期が、補助金の制度が誕生した時期と重なり(今なら、コンサルがもうすごくたくさんいる状態だから、全然声がかからないと思いますが)、いろんな方からご依頼をいただいて、本当に運がよかったと思っています。ものづくり補助金の支援をした経緯で、当事務所は製造業のお客様が多くなりました。
その数年後、私が病気になった(あとでその話をします)タイミングで補助金の仕事は辞めました。補助金の申請書を書くのは、意外にハードな仕事なんです。色々調べる必要があるのはもちろん、文章作成にも時間がかかって。お客様との打ち合わせや、写真の撮影とレイアウト、図の作成など、税金の申告書とは全然違います。昔のように深夜まで残業して複数社を同時並行で進められず、お断りすることにしました。とはいえ、補助金のコンサルは今もやっています。例えば、東京のコンサルタントに書いてもらった申請書を地元の会社目線で見直すという程度ではありますが。ですので補助金の相談程度でしたら、今でもお応えしますよ。
補助金対応をしている時期が一番忙しかったように思います 。一人で複数社の補助金の仕事を抱えながら、同時に会計や税金の申告の業務も進めなければならず、土日も関係なく、40日~50日ぐらいは毎日朝9時から夜12時近くまで、ぶっ通しで働いていました。夜23時を過ぎると、翌日に影響が出るため強制的に終わらせて、帰宅。家では寝るだけの生活でした。そんなことを続けていたら、ぎっくり腰になってしまい……。体に疲れが溜まっていたのは確かに感じていました。起床して、靴下履くときに腰がダメになってしまい、なんとか行った接骨院で「ぎっくり腰」と診断されました。
それでも仕事があったので休むこともできません。スタッフにビルの1階で荷物を受け取ってもらい、私はなんとか事務所の3階まで上がることに成功。腰が曲がらないため、机の上に空のダンボール箱を置いて、その上にパソコンを置いて、立ったまま仕事をしました。その頃が一番、仕事量をこなしていた時期だったように思います。振り返ると、大変ではありましたがシンプルに仕事に打ち込めてそれはそれで楽しい思い出ですね。
ワークライフバランスとか働き方改革って言われていますが、自分で独立して事業をやるからにはハードワークしなきゃいけない場面は当然あるし、組織ができる前段階では自分個人の力で切り開くしかないんですよね。そういった意味で、私と同じように、頑張る人を心から応援できたら嬉しいです。私は病気になって体力も落ちましたが、無理をしない程度で自分にできるハードワークは続けていきます。
【結婚と病】
結婚と子どもの誕生、
幸せの絶頂の中で
見つかる病
事務所も徐々に大きくなり、結婚したタイミングが私の事務所における創業の1つの区切りでした。その後、全然予期しなかったことが起こりました。一人目の子どもが生まれた時期に、友人の社労士さんと野球観戦に出かけました。膝に手を当ててナゴヤドームの階段を必死で上がってる私の姿を見て、社労士の友達が「救急車呼ぼう」と。傷病手当の申請も社労士の仕事ですから、その関係で病気について少し詳しかったらしく、私の姿を見て直感的に「心臓が悪い」と思ったそうです。私は「救急車は呼ばないで。疲れがたまってるだけだと思う。」と伝えると、友達から「それなら明日、地元で1番大きい病院で検査を受けてほしい」と言われまして。翌日、早速地元で1番大きい病院に行きました。自分が病気だなんていう自覚はありませんでしたし、検査を受けてすぐ仕事するために、革靴にスーツ姿で病院に行って。簡単な検査を受けて待ってる間に、車椅子を押す看護師さんから「この車椅子に座ってください」って言うんです。看護師さんに「え!私、立って待ってますよ」と伝えると、はっきりとした口調で「ドクターの指示です」と。そこから精密検査が始まったかと思ったら、そのまま強制的に入院でした。検査結果を待ってる間、すごく怖い気持ちになってきて、妻に何度も「怖い怖い」とメッセージを送っていたのを記憶しています。心臓は悪くありませんでしたが、再生不良性貧血という病気により血液が正常に作れなくなっているとのことでした。病院行ったのが、子どもが生まれて6日後の話でしたので、幸せの絶頂から一気に死ぬかもしれない不安な状態に急転直下しました。
IT化・クラウド化を
進めていたおかげで、
病室からの仕事が
可能に。
投薬治療のために、突然入院することになりました。毎月お客様の決算を組んだり、法人税の申告をする必要があるため、ただ入院することはできません。外出許可をもらい、タクシーで事務所に行き電子申告だけしたり、事務所のスタッフにお客様の書類を持ってきてもらいながら、なんとか仕事をしました。入院していた無菌室は人に直接、会えないんです。親と妻だけOKで、子どもすらNG。職場のスタッフの面会は無理だったので、受付に渡してもらい、看護師さんから受け取る。無菌室の中で懸命に書類を見ていましたが、体調次第なところがありました。薬によっては、副作用でぼーっとした気分になり、何もできなくなるんですね。そのうちに寝てしまって一日が終わる。結局、仕事はできていないみたいなサークルでした。それでもなんとか首の血管にカテーテルが刺さっている状態でも、できる範囲で仕事をして。病院側も事情を理解してくれて、治療は最優先だけど、私が寝てるだけの時には仕事をしていいと許可してくれました。入院する前から、比較的クラウド化やIT化を進めていたことも功を奏しました。
入院中もインターネット環境さえ整っていれば、事務所の中の会計データはほとんど全部見れる状態でした。ですから、お客様の会計データをチェックしたり、スタッフが分からない仕分けを私が病室で対応することも。治療で強い薬の副作用で声がほとんどでない中で電話すると、私の死にそうな声にお客様がびっくりしたこともありました。そんなこんなで、それでもなんとかやってこれたんです。その時の経験から、入院中も仕事を円滑に進めるにはどうしたらいいかという発想で、やり方を模索し始めました。例えば、コロナの時にWebカメラをパソコンにつけてオンラインで打ち合わせをすることが一般的になりましたが、私の場合はそれよりもっと以前に、入院中でもオンラインで打ち合わせできる方法を検討して、必要に迫られて準備を進めていました。ですのでコロナが流行っても、すぐにオンライン面談に対応していました。私が隔離されている状態でも仕事ができるように準備していたことが、こうして役立ったのです。
投薬治療後に、回復するまで3か月近く入院しました。その間は、お客様にかなり支えられました。病院までお見舞いに来てくださっても、面会が叶わないにもかかわらず、たくさんの方が足を運んでくださいました。私が血が作れないことを知って、赤いパンツを何枚か買って持って来てくださった方や病気についてたくさん調べてくださった方もいらっしゃいました。こちらの事情を理解して、満足に仕事ができない状態でも温かい目で見守ってくださったみなさんには感謝の気持ちでいっぱいです。
妻が出産した約1週間後に病気が見つかって、強制的に入院。その間、里帰り出産した妻は、実家で過ごしていました。妻には本当に申し訳無いことをしました。妻のご両親にあわす顔がなくて。身体が弱って動かなかったらやっぱり力も出ないし、心も弱ってしまいがちです。退院後、家族で一緒に暮らすようになると、血液の状態も少しずつ改善しました。この世界に生まれたばかりの新しい生命が身近にあり、私の体がその子から刺激を受けて、少しは血がつくれるようになったのかな、と。病院では退院できる血液の基準に達しなかったのに、子どもと暮らすようになったらすぐに回復したのは、幼いながらも強い生命力のおかげですね、きっと。
負担軽減目的で始めた、
ホームページでの集客
妻は結婚当時、正社員で会社勤務の仕事を続けたいと話していました。私もそのつもりでしたが、予期せずに病気になってしまい、妻に「申し訳ないけど会社辞めて欲しい。事務所を手伝って欲しい」とお願いして。その結果、妻も私とともに事務所で働くことになりました。これを期に、運営について大幅に見直すことにしました。それまでは新規のお客様なら、私が訪問し、直接要望をお聞きしてお見積もりを用意するという流れでしたが、体力的な負担軽減を考えて本格的なホームページ作成し集客に繋げようという方針を定めました。妻が広告を扱う会社に勤めてたので、その経験を生かして、今のさの会計のホームページが完成しました。退院してから妻と一緒に仕事ができるようになり、会計や税金以外の集客についても一緒に考えられるようになり、とても幸せです。本当に感謝しております。
ホームページの整備と同時に、人の助けを借りようというシンプルな結論に至り、雇用を促進した結果、事務所の人数が増えました。スタッフが増えると当然、給料が発生します。給料を払うためにお客様を増やす必要があり、私ができる仕事で頑張って稼ぐ必要がありました。私の仕事で言うならば、人件費と売上が見合っていない状態にもかかわらず、自分の体調を考えると仕方ない、というところでしょうか?そういった状態を、なんとか改善する工夫が必要になりました。集客はもちろん、事務所内のワークフローや組織体制をさらに効率的なものに変更するのです。所長の体が弱い分、他を強くするしかないので、今後はそこに力を入れていこうと思っています。私の体が弱いため、将来的には税理士資格のある方の雇用も視野に入れて動いています。まずは、事務所の収益力を高めることを最優先に取り組んでいきます。
退院して一年後に、病気が再発しました。再発した時は、体の中がだんだん冷たくなっていくような感じがしました。映画とかドラマの表現でその人の命を炎に例える描写がありますよね。まさにそんな感じでした。再発により、骨髄移植をするということになりました。
自分が治療を受けた病院では骨髄移植ができず、別の病院に転院することになりました。その病院の担当医に「自営業で税理士事務所をやってます」と伝えました。 回答は「骨髄移植をするために、休業か廃業してください」。まさかそんなことを言われると思っていなかったので、かなりショックでした。
休業・廃業の宣告。
お客様のために
何ができるか考える日々
骨髄移植は長期間入院しなければなりません。事務所はどのように継続するのかという話になります。当事務所は、法人の顧問契約中心ですので、休業はほとんど廃業とイコール。退院後に、またイチからお客さんを開拓するのは現実的じゃないと思いました。苦しい治療だけでなく、仕事まで失うと知って本当にショックでした。本来なら骨髄移植の成功に向けて、体調を整えていくべきなのに、「もし死んだら家族はどうなるんだろう」とマイナスなことばかりをイメージして。治療しながらも休業・廃業しない方法はないのか、ずっと考えていました。骨髄移植後に、社会復帰した税理士さんの話も病院から聞きましたが、決断しかねていました。ITを活用してクラウドとか、オンラインのミーティング、連絡の体制など、私が不在でも事務所を継続する方法はないか。骨髄移植は大変な治療ですし、ただ寝ているしかない時もあるだろう。その時にどうやって仕事を手伝ってもらえるかなど、ひとつずつシミュレーションしました。そんな日々の中で「私にとって仕事が生きがいである」ということを自覚しました。そもそも仕事していないなら、どのようにその命をまっとうするのか。だから必死で仕事を継続するための方法・手段ばかりを考えてました。
そんな中、移植が中止になり、今まで通りの投薬治療を継続することに。薬の種類と量の見直しによって、少しずつ改善しています。定期的に病院に通いながら、なんとか日常生活を送れる日々。仕事を普通に続けられる幸せ、二人目の子ども、家族と本当にごく当たり前の日常、家族で一緒に食事して、テレビを見て笑って。今日あった出来事を話したり、川の字になって寝られる普通の時間が本当に幸せです。病気になって、いろいろ制約がある人生になりましたが、充分幸せです。
ちょうど同じタイミングで新型コロナの感染が拡大し、その中での事業運営になりました。コロナ対策に関連してさまざまな給付金・融資がありました。入院した時にお世話になった感謝の気持ちを込めて、そのような支援はすべて無料で対応しました。事務所内でもイレギュラーな対応があったりして……。言い訳になりますが、その分事務所を進化させられませんでした。そんな反省もあり、もう一度、事務所を成長軌道に乗せるために「会社設立」「創業」に力を入れようと今回のホームページを作りました。一括りに税理士と言っても、相続を中心とした個人の資産税関係に力を入れている事務所もあれば、弊社のように法人中心の事務所もあって、それぞれに得意分野があるものです。私の場合は、経営支援の領域の強さを生かしたいと考えました。会社設立系のサービスを提供する税理士事務所なら、愛知県・名古屋の大手が低価格で質も高い。それなら、私たちの事務所近辺にもこうしたサービスの需要があるのではと類推しました。一宮市や稲沢市の経営者の卵や会社設立予定の方に向けて「さの会計なら安くやれるよ」と訴えかける会社設立のサイトを作りました。会社設立するなら、税理士以外にも登記と会社法に詳しい人と話ができた方が良いと思い、近所の司法書士さんに提携のお願いしました。田中先生と祖父江先生ご夫婦は、「近くで開業したのでよろしくお願いします」とシャトレーゼのスイーツを持って挨拶に来てくださったのがきっかけでした。私は甘いものが大好きでしたし、近くのシャトレーゼのお菓子をよく食べていましたから、田中先生と祖父江先生には悪いけど「なんだ、まあいつも食べてるもの持ってきたなー」と思ってましたが(笑)。遠くの食べたことない洋菓子屋さんのお菓子ならもっと嬉しかったのですが、いや、シャトレーゼで充分美味しいのでいいんですけどね。お二人とも、とにかく仕事が早く、一生懸命によく考えてくださいます。それが本当に頼もしく、私もおふたりの仕事に対する姿勢を見習わなければいけないと思っています。
【さの会計のこれから】
AIやITにも限界がある。
先回りしてトラブルを
回避する、税理士の仕事。
これからはITやAIを活用するのが当たり前の時代になり、もはやインターネットで会社設立までできる世の中になってきました。便利ではありますが「本当にこれで正しいんですか」とか「なぜこうなりますか?」と質問したいときに、やっぱり人と繋がっていたいと思いませんか?
ITやAIは向こうから先回りして助けてくれるということはないですし、最後は人だと思います。税理士も司法書士も、想定すらしていないリスクを説明できたり、その反対にメリットまで提示できるように努力します。いつも相談するわけではなくても、いざとなったらこの人に聞けばいいからっていう頼れる繋がりを持っておくと心強いですね。経営者1人やスタッフ1人で、何でもかんでもできるわけじゃありません。時間も限りがあります。働き方改革とか生産性の向上を考えても、優先すべき仕事は何かを見極めて、本当にするべきこと以外は外注するという判断も時には必要です。記帳代行や給与計算もそうですが、外注のコストが安いならそちらを選ぶというビジネス上の判断は決して悪くないと思います。
本業ではない登記や税務、知識、他にも会社法や税法の知識は、経営者として自分のビジネスに関係する大雑把な内容と方向性だけを掴んでおき、細かい論点は専門家に任せればいいのです。税務や会計の制度も、 ITやAIとともに変化していくもの。制度がますます複雑になるには目に見えています。
ぜひご自身だけで解決しようとせず、さの会計にご相談ください。お待ちしています。